2005年07月13日

バットマン・ビギンズ 其の二

batmanbegins.jpg

タイトル:BATMAN BEGINS
製作  :2005年
監督  :Christopher Nolan
出演  :Christian Bale、Michael Caine、Liam Neeson、Morgan Freeman

8年ぶりの新作バットマン。
話は変わりロンドンで最近同時多発テロが起きた。電車が爆破された。
電車・・・ビギンズでも電車がテロ行為の手段となっていた。今回のバ
ットマン、おそらく9・11後であるというのが物語の根幹の部分を決定
付けたはずだ。

ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベイル)は心に闇を持つ。
その理由は両親を目の前で殺されたからというのが大きいだろう。
しかし、私はこう思う。確かに両親を目の前で殺されたら心に闇を
抱えることになるかもしれないが、だからといって自ら罪人になり、
自ら育て上げてくれた影の組織を破壊する行為、その後何事もなく
坊ちゃんに対してお迎えがあるような状況、環境。これをどう感情
移入をもって観ろというのだ。もともとそういう物語だ、と言われ
たら確かにそうである。でも、私はこの作品を面白いと思えた。
なぜか?それは主人公への感情移入という見方より、ゴッサムシティ
を舞台とする権力の関係性の映画という見方がこの作品の理解を助け
ると分かったからだ。だからウェインの成長物語の前半より、善悪
価値観入り乱れで人間交差点な後半の方が圧倒的に面白い。
まあウェイン坊のわがままにはついていけませんぜ、ってことです。

なぜ中身より行為、悪より善なのか。これってバットマンを中心に物語
を観ると本当に見えなくなる重要な主題でしょう。まず当たり前のよう
にゴッサムシティには多くの市民が住んでいる。それも貧困層と裕福な
層との二極化は進んでいるようだ。ブルース・ウェイン、レイチェル
(ケイティ・ホームズ)ともに裕福、その裕福さもゴッサムシティで上
から数えた方が早いといった人達だ。彼らは自らの(といっても親の)
財力と、(これは環境と自らの)知力と努力で悪を裁く立場にいる。権
力のない貧困層の市民はデュガード(リーアム・ニーソン)の率いる集団、
つまりテロリストにも裁かれる対象になっているのみならず、生活のため
の犯罪を法に裁かれている。つまりこの映画において自らの善をもってし
て行為することができ、何かを決定付けたり裁いたりすることができるの
は、金のある人間とテロリストだけである。そして「自らの善を持って行
為する」というのは国単位であれ、テロリスト集団であれ、集団をある方
向に持っていくための思想統制のひとつとなるものだろう。すべての人に
とっての善、そして行為とは?もうお分かりのようにこの作品の世界とは
まさに私たちの住む世界そのものである。いや厳しい。でもそこがこの映
画をグンと重みを持たしているのだろう。しつこいようだが9・11前に
この作品を作ったらこうなっていなかったはずだ。

さてロンドンでテロが起きた。我ら市民はバットマンのような正義の味方
をただ待てばいいのか。それともゴードン警部補のように悪をなさず慎ま
しく生きればいいのか(結局バットマン待ちだけどね)。それとも・・・。

(文化遺産)

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posted by つるっと温泉卵 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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