2005年06月12日

肌の隙間

sukima.jpg

タイトル:肌の隙間
製作  :2004 日本
監督  :瀬々敬久
出演  :不二子、小谷健仁、吉村実子、
      三浦雅巳、飯島大介

重い空気を漂わすこの作品は、主人公である二人が殻を
破り世界に初めて触れるとき、そして初めて息をすると
きの空気の重さをシンプルな映像と台詞で構築しており、
その剥き出しの世界を観ているものに主観的視点で体験
させるので、それはこちらも重くなると。ただ本来世界
とはこのようにわたし達にとって重さを感じさせるもの
であるからこそ、その重さを取り払うために、わたし達
はあれやこれやと奔走している。では自閉している、つ
まりコミュニケーション不全である者はいかにその重さ
を取り払うことができるか。


自閉症である妙子、引きこもりである秀則。妙子の姉は
秀則の母であり、秀則によって殺されている。殺人から
始まる物語である。殺人の容疑をかけられている妙子と
秀則はただ逃げる。いや、逃げるというより「ガイコク
」に行こうとする。「ガイコク」とは自らの居場所のよ
うなもの。しかし、彼らの「ガイコク」はわたし達の世
界にはなかった。ただ二人が関係した世界は確かにある。
それが傍からみて歪んだ世界であろうとも。

コミュニケーション不全である者が世界と対峙するのは
身体しかない残されてないのではないか。世界と対峙す
るのにわたし達は言葉を使う。しかしその言葉を失った
ものは、不器用に身体でぶつかるしかない。だから妙子
は秀則とセックスをすることによって関係を築き、浮浪
者や運転手に犯されることで(求める求めないに関わら
ず)対価を得る。秀則は母を殺し、自らも傷つけること
によってしか明確な意思を表せない。わたし達は言葉に
よって合理的に世界を我がものとしている気でいるかも
しれないが、それは気でいるだけで実際は何もものには
出来ていないだろう。世界はそもそもそこにあるだけで
わたし達がどう出来るものではない。だから対峙するのだ。

ではいかにコミュニケーション不全であるものが重さを
取り払うことができるか。おそらく出来ないのではないか。
だからこそ痛みを伴いながら、お互いを求め、抱きしめ
あう妙子と秀則は美しく醜い存在である。それはわたし
達が普通に生活して、やり過ごせてるような気になって
いる、対世界というものを赤裸々に見せつけてくれるのだから。

(文化遺産)

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posted by つるっと温泉卵 at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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