2006年08月15日

母たちの村

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タイトル:Moolaade
製作  :2004 Senegal/France/Burkina Faso/
      Cameroon/Morocco/Tunisia
監督  :Ousmane Sembene
出演  :Fatoumata Coulibaly,Maimouna Hélène Diarra,
      Salimata Traoré,Mah Compaoré,Aminata Dao

どのような道を通ろうが人それぞれの勝手!なんて言おうものなら、村人たちからいっせいに非難されるような状況を理解するのはなかなか難しい。
自由すぎて何をしたらよいか分からんとモラトリアムが続けば、何でもいいから縛って!なんて求めたくなるのも分からないでもない。
ただ、わぁーきついわぁ、と嘆きつつ改善策をこうじることはできるのが救いである、ということに敏感であった方がいいかもしれない。

『母たちの村』は西アフリカの小さな村が舞台で、伝統的に行なわれている儀式である少女に対する割礼を拒否して逃げ込んだ先が自分の娘の割礼を拒否したコレの家だった。
コレは村人、村長、夫に攻めたてられながらも4人を守ろうとする。

割礼は女性器切除と呼ばれることもあるらしく、その手術の衛生的な危険性はもちろんのこと、女性蔑視の意味合いも強く、この映画では割礼をしていない女性はビラコロと呼ばれ、結婚することができないと言われている。
ここでの問題は女性には何かを拒否する権利が存在しないということだ。割礼をするかしないか、するとしたら手術の安全性をどう確保するべきか、という選択肢がなく、儀式に従うしかない。
この問題を解決するためには何が必要か?
それは力だ。
力とは何か?
それは筋肉だ。
筋肉をつければこの問題のほとんどが解決する…わけではない。
そこでこの映画で出てくるのはラジオだ。
女性たちはラジオから流れてくる音楽に合わせて歌ったり、和んだり、潤いを得て、流れてくるニュースからは知識を得る。
コレの一件をきっかけに、男たちはラジオを聴くのを禁ずる。
つまり男たちにとってラジオは女性の力となり得るものということだ。
情報は力になる。
情報を得ることによって今の状況から、改善する方向へ向かう意識が生まれる。この情報はおそらくなにかの思想を統一する力と解体する力があるだろう。この映画では伝統からの解放を促した。そして、選択肢を増やすことに成功した。これによって一歩近代化した。そのかわり、伝統的に行われていた習慣、儀式は失われた。
この二面性がこの映画を面白くさせている。

『母たちの村』を観て、近代化することの是非を単純に問うことができないなぁと思った。
たとえば、中国の公害問題はかなりひどい、が日本も高度経済成長期に多くの公害問題を抱えていた。近代化することによって伝統が消える方向がある可能性もふまえて、でも近代化したほうがよいとは思うが、バランス、は大事だ。いっそのこと世界のすみずみが超高度資本主義化すれば、《伝統》というものが存続できるのでは、と考えるが、問題は山積みですね。
だから『母たちの村』は映画としてとかよりもとりあえずみんなが観たら良いなぁ、と思う。私たちとの問題意識の差を感じながら、共通性を見出す映画だ。あら、また混乱してきちゃった。
(文化遺産)
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posted by つるっと温泉卵 at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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